熊本県菊池市七城町。美しい田園風景のひろがるこの地で、「Saigo」は牛を育て、米と麦をつくる。田んぼから出る稲わらが牛の飼料になり、牛糞は堆肥となってまた田んぼへ還る。増永優樹さんは“牛飼い”に徹し、日々、牛たちのいのちに向きあっている。

農の延長線上にある畜産。
増永さんの話は、畜産という産業の系譜のお話からはじまった。
増永さん:「家畜はもともと、農耕を支えてきたものなんです。馬にしても牛にしても、基本は農業。その延長線上に畜産がある。今取り組んでいるのは、現代農業になる前の農業に戻そうという考え方ですね。」
牛舎には、200頭に満たないほどの牛がいる。生き物を預かる仕事に、休みの区切りはない。夜中にも、二度は様子を見にくるという。
増永さん:「牛には寝相が悪いものがいて、左を下にして寝ているとお腹にガスが溜まってしまう。気づいたときには風船みたいに膨らんでいることもあるので、見つけたら起こして、こう寝なさいと寝かせ直してやるんです。牛は何も言わないのでですね。」
日々の目安は、餌の食べ方だという。いつも食べている牛が食べていなければ、どこかに理由がある。

畜産と稲作のあいだの循環
Saigoの畜産は、田んぼと地続きにある。稲刈りのあとに集めた稲わらと、規格外になった米が牛の飼料になり、牛から出た堆肥は田んぼへ還る。その土で育った作物が、また牛の口に入る。
増永さん:「人が家畜を扱えば、排泄物も出ます。そのままにしておけば問題になるけれど、田んぼに戻して、また作物をつくって、収穫したあとの稲わらや麦わらをまた畜産に使う。いちばん理想的な体系だと思っています。」
一年でもっとも慌ただしいのは、稲刈りを終えた10月だ。牛の飼料になる稲わらを、天気を読みながら集めていく。
増永さん:「良質なものを取ってあげたいから、雨に濡らしたくない。天気次第なので、夜中の12時、1時までずっと巻いたり寄せたりします。あの時期がいちばん大変ですね。」
循環という言葉の実体は、夜中まで田んぼに立つ人の時間でもある。餌やりにも、独特の順序がある。朝はまず稲わらだけを二時間ほど。腹が満ちてから、はじめて穀物を与える。2021年からは、稲わらと飼料に亜麻仁の種子を混ぜて与えている。
米と麦は、有機JAS認証を取得して栽培している。一方、牛については有機畜産物のJAS規格による認証には至っていない。放牧地の面積や飼料の条件など基準が厳しく、一度挑戦して見送ったという。
増永さん:「牛に与える稲わらや穀物を、まだ十分に確保できる状態ではないんです。そこは今からの課題で、まだ道半ば。それでも、少しずつ移行していきたい。」

「菊池源吾」の名の由来
Saigoが育てる牛は「菊池源吾牛」、米は「菊池源吾米」と名づけられている。牛と米が、同じ名を分け合っている。
菊池源吾は、西郷隆盛が幕府の追及を逃れて奄美大島に潜んだとき、藩命で名乗った変名である。西郷家は、平安から室町まで四百五十年ほど熊本北部で栄えた菊池一族の末裔と伝えられる。菊池では、その名を「吾が源、菊池にあり」の意と説いている。
屋号の「Saigo」も、地名から来ている。七城町のなかにある「西郷」、増永さんが生まれた集落の名だ。Saigoのある七城町砂田には、増永城址と一体になった西郷南洲公園があり、西郷隆盛の碑が建っている。
増永さん:「うちは『西郷』という、七城よりもっと小さい、自分が生まれた場所からスタートしているので、そういうはじまりのストーリーを大切にしたくて。」

かつての「天下第一の米」の名のもとに。
Saigoのある七城町は、「七城米」の名で知られる米どころだ。菊池川流域は江戸時代、「天下第一の米」と呼ばれた肥後米の中心産地として栄えた。集められた年貢米は高瀬の船着場から、当時の米取引の中心だった大坂へ運ばれ、千両役者や横綱への祝い米に「肥後米進上」の立札をつけて贈られたと伝えられている。阿蘇に源をもつ菊池川の水と、その川がつくった土。この土地の条件が、いまも米づくりを支えている。
Saigoは、その七城米と同じヒノヒカリを、自分たちの田で育てている。牛の堆肥が育てた土から実る米に、自分たちの名をつけた。「菊池源吾米」。
増永さん:「米を刈ったあとの稲わらを牛が食べて、牛から出たものが堆肥になって、その土でまた米ができる。順番に回っているだけなんです。」
増永さんが「循環型」と呼ぶこのやり方は、技術が進むなかで一度は手放されてきた、農業のもとのかたちでもある。
増永さん:「難しいんですよね、経済を回さないと経営もやっていけないから。それでも、ちょっと地道に、少しずつその感じでやっています。」

「A5」は目指さない
黒毛和牛の等級は、出荷のあとに決まる。歩留等級A〜Cと、肉質等級5〜1の組み合わせの通知が届き、数字が一つ下がれば肩を落とす。昨今の畜産業界の流れとして、そういう側面がある。2023年には、和牛去勢の六割以上がA5に格付けされた。等級を上げる圧力は、弱まってはいない。等級を追う育て方はしていない。
増永さん:「今の規格に合わせた牛をつくるのは、正直こわいんですよ。そこまで肥やすと、牛の健康と遠ざかってしまう。だからA5を狙おうとは思っていません。それでも5は出るんですけどね。無理に肥やさなくてもサシが入るし、入らなくても肉の繊維が細かくて柔らかい。もともといいものを持っている牛なので。」
等級が3でも4でも5でも、Saigoの牛は菊池源吾牛だ。等級を尋ねたお客さまから、3でよかったと言われることもあるという。

触れる時間が、変えたもの。
以前は、出荷のときに牛が暴れることもあった。今は捕まえればそのままついてくる。その差は何だったのかと尋ねると、少し考えてから答えが返ってきた。
増永さん:「牛に触れる時間と、自分が牧場にいる時間でしょうね。昔は触らなかったけれど、今は基本的に触ります。触ってやると牛も落ち着くんでしょうし、じっとおとなしくなって、気持ちよさそうにしていますよ。」
餌箱を掃いていると、顔を出してくる牛がいる。よしよし、と声をかける。邪魔をしてくる牛には、ちょっとどいて、と。
増永さん:「考えたことはなかったけど、普通に喋っていますね。常に何か喋っていると思います。」
だからこそ、ここで死なせたくないのだという。
増永さん:「せっかく育てて、愛着があって、出すのが寂しい牛もたくさんいます。でも、ここで死ぬんじゃなくて、ちゃんと待っている人たちのところに行って、食べてもらいたい。」

父が名づけた「楽園」
増永さんが18歳の頃、父は会社の名を「ユートピア農場」へと変えた。ユートピアとは、楽園のこと。
増永さん:「父の考えの中での、農業の楽園をつくりたいということだったんでしょうね。ヤギ牧場があって、牛もいて、米もつくって。お年寄りや子どもが遊びに来られる、農業の広場をつくりたいと言っていました。」
その父は、増永さんが20歳のときに亡くなった。背負うものが多く、ヤギは手放し、牛と米に絞った。当時の米袋には、循環型の農業に取り組みたいという言葉が記されていたという。
増永さん:「その意味が、40を過ぎてやっとわかるようになりました。父はこれをしたかったんだろうな、こういうことだったんだろうなって。その答えを探しながら、今やっているような感じです。」
30歳の頃から続けてきた取り組みは、長いあいだ誰にも伝わらなかった。発信と販売を、妻の直子さんをはじめとする女性スタッフたちに託したのは、数年前のことだ。息子たちが、かつて自分が父を亡くした年齢に近づいた頃だった。
そのまなざしは、遥か先へ向いている。
増永さん:「農業には、環境を戻す力があると思っています。自分たちの世代ではなく、子や孫、ひ孫の世代までに元の環境に戻していく。将来に負の遺産ばかりじゃなくて、いいものを残せるのが農業じゃないかな。」
米をつくり、牛を育て、また田んぼへ還す。父が名づけた楽園は、七城の土の上で、今日も少しずつかたちを変えながら続いている。

文・写真: MINORI FOODSCAPE



