コラム

「養鶏」。それは、尊い "いのち” をつないでいくこと。

山もり養鶏場

福岡県・うきは

耳納連山の新緑の中を筑後川の清らかな水が駆ける、初夏の福岡県うきは市。全国有数の「名水の地」としても知られるこの場所で、飼育環境・餌・水などすべてにおいて妥協せず、平飼い養鶏を行う「山もり養鶏場」。最高の自然環境で健やかに育てられた鶏たちの産む「山もりたまご」は、生命力に溢れ、自然そのままの豊かな風味が人気を博す。 "いのち"と向き合う中で、高まった想い。 以前は、福祉の仕事に従事していた塚本さん。養鶏との出会いは、兄妹に導かれたご縁であった。 塚本さん:「妹が農業をしていたこともあり、もともと農業に興味はあったのですが、妹のつながりで山もり養鶏場で求人があることを知り応募しました。初めは、研修からでしたが、『自然豊かな土地で、こだわり抜いた美味しいたまごを作りたい。安心・安全なたまごを届けたい。』という想いが自然に芽生えていた気がします。」 養鶏に携わり、"いのち"と向き合う中で、想いは高まり、いわゆる安定した仕事を手放し、うきはへの移住を決意した。 塚本さん:「鶏の世話から販売まで、すべてに自己決定権を持つようになり、働き方はサラリーマン時代から一変しましたね。養鶏を通して、お客様との直接の対話も多く、自分自身が大切に育てたもので喜んでいただけることが何よりの魅力です。」 "続ける"大変さ。 山もり養鶏場で採用する「平飼い方式」は、現在は全国でも約5%が行う程度。広くて開放的な鶏舎では、鶏たちは太陽の光をいっぱいに浴びながら、のびのびと過ごしていた。一方、やはりその分、生産者の労力は計り知れない。 塚本さん:「日々の作業は決まっていて単調ですが、"続けていくこと"が一番大変かもしれません。また、飼育密度が高くなると鶏にストレスがかかってしまいます。その結果、他の鶏を突いたりする悪影響も出てくるので一定の飼育密度が保たれるようにしています。集団で鶏を飼うこと自体が"自然"ではないので。鶏の社会でも序列があり、後ろから追い回して突いたりするので、なるべくそういう気持ち自体を起こさせないようにしたり、とにかくストレスを減らしてあげることを心がけています。」 また、「平飼い」は、衛生的な環境をつくり出し、鶏舎内の臭いを解消するとともに、鶏たちの健康を守ることができる飼育方法だと話す。発酵した餌を与えているため鶏の腸内環境が良くなり、結果として糞の匂いも発生しにくい効果があるという。 塚本さん:「鳥インフルエンザのような感染症は、主に『ケージ飼い』での発生が多いです。平飼い養鶏も感染リスクが全くないわけではありませんが、鶏の個体が健康で免疫力が高いので、発症の例も聞きません。広い砂場を用意してあげて、そこで『砂浴び』と言って、皮膚や羽毛についたダニや寄生虫、汚れを落とせるようにしています。」 山もり養鶏場で力強く生き生きと暮らす鶏たちが生み出す"山もりたまご"は、どこか懐かしさを感じさせるレモン色の黄身と、こんもりとした弾力のある白身がキラキラと輝く。 自家配合飼料と四季折々の旬野菜。 山もり養鶏場では、その日の鶏たちの体調や季節に合わせて、米ぬかや牡蠣殻などを発酵させた自家配合の飼料に加え、四季折々、旬の野菜も餌として与えている。 塚本さん:「農家さんのもとに配達に行くことがあるのですが、その際に、野菜の本来は捨ててしまう部分を餌として提供していただいています。」 "農"に従事するもの同士、「美味しいものを届けたい」「地域に貢献したい」という想いも同じ。地域の輪の中で生まれる相互扶助の循環である。 卵の味は、鶏たちが「口にするもの」で変化する。旬の食材を食べた鶏たちが生み出す"山もりたまご"には四季折々の風味が織り込まれ、季節ごとに移り変わる自然の恵みを感じることができる。 命を紡ぐ。 環境や飼料にこだわり丁寧に飼育する中でも、毎日やってくるという獣の存在は、警戒が欠かせない。 塚本さん:「去年の夏、生後2ヶ月くらいのひよこたちが一晩でやられてしまいました。その日の朝に鶏舎を見にきたとき、呆然としました。本当にやるせない気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。」 養鶏は、命を守り、つないでいく"尊い"仕事。たくさんの命を預かるからこそ、喜びに満ちる瞬間だけでなく、数々のリスクとも向き合わなければならないと塚本さんは話す。 福祉に還元したい。 山もり養鶏場では、「農福連携」に力を入れており、卵の検品や商品の梱包などの仕事の一部を就労支援施設に委託している。こうした想いの背景には、前職で障害福祉に携わっていた塚本さん自身の経験がある。 塚本さん:「前職では障がい者の学童保育の先生をしており、障がいのある子供たちに関わっていました。現在、養鶏場として規模を拡大していく方針なので、飲食事業を展開していきたいと考えており、その中で、農福連携が実現できれば良いなと思っています。」 今後は福祉に特化した企業との協業や商品開発等のコラボレーションを予定していると話す。 妥協はしない。その信念をこの先も。 豊かな土地で丹精込めて育てられた"山もりたまご"は、「色がいい」「臭みがない」「これなら生で食べられる」といった声が多く寄せられている。 塚本さん:「特に、"山もりたまご"は臭みがないと好評で、『以前は苦手だった人でも食べられるようになった』といった声も多いです。」 塚本さんのおすすめの食べ方は、"シンプルな卵かけご飯"。生臭さがないため、何もかけずとも、卵本来の旨みが口いっぱいに広がり、そのままでも十分楽しめるとのこと。 どこか懐かしく、そして力強い"山もりたまご"は、うきはの美しい風景とともに「本物の美味しさ」を追求するために、これからも進化を続けていく。 文・写真:emma. Inc.

自然とともに生きる心地よさ。 昔ながらの梅干しづくりで、八女の美しい自然と伝統を守る。

平島農園

福岡県・八女筑後

風情漂う里山の風景がいまなお残り、八女茶や伝統工芸品で著名な「八女」。豊かな自然に恵まれたこの場所で、「平島農園」は梅の栽培と梅干しの製造を120年以上にわたって、"つないで"きた。梅、紫蘇、ミネラル豊富な塩のみで漬けた、保存料・化学調味料・着色料などの添加物を一切使用しない梅干しは、昔ながらのどこか懐かしい味わいに心がほっとする。 原点に還る味。 覚えているだろうか。おじいちゃん、おばあちゃんがにぎってくれた、あの梅干しおにぎりの味。日本の伝統食としての梅干しを求める方に向けて、平島農園では、梅の栽培から梅干しの製造、そして販売までを一貫して家族で担う。 平島さん:「最近は、世の中的に減塩ブームですが、減塩するためには何かを入れなくてはいけないんですよね。一般的なスーパーで売られている梅は保存料や、着色料を入れているのがほとんどだと思います。そこが我が家と違うところですね。」 そんな平島農園の梅干しのファンは、ほとんどが個人のお客様。昨今は見かけなくなった、昔ながらの梅干しを全国探し求めるような方が、平島農園に辿り着くという。 平島さん:「『全国の色々な梅干しを食べたのですが、こういう梅干しを探してました。』とか、『母やおばあちゃんが漬けていた梅干しと似ていて懐かしいです。』という言葉が励みになり、嬉しいですね。」 看板商品「七折小梅」は、2011年第6回全国梅干コンクール(4年に1回開催)で1,211点の中から日本一に輝いたこともある。愛媛の七折という地域でできた品種で、梅干しにすると、赤ちゃんのほっぺのようにぷわぷわと柔らかく、口の中で溶けるような食感に仕上がるのが特徴。平島農園の製造する梅干しの約8割を占める。 平島さん:「このあたりでつくられる梅は、酸っぱくて小さい梅が多いですが、七折小梅はまろやかです。増やそうと思っても、苗から実が採れるようになるまで約8年かかる上に、栽培が難しいので、他の農家でもなかなかやってないですね。市場にも出にくいです。」 一家相伝の栽培技術。 梅干しの材料となる梅と紫蘇は、全て自家製。そんな平島農園にある梅の木は、なんと約1,200本。長年の梅栽培で培った経験と、試行錯誤を重ねて生み出された秘伝の技術により、梅は低農薬、紫蘇は無消毒での栽培が可能に。 平島さん:「明治時代に私の曾祖父が梅をつくり始めて、現在も栽培方法はほとんど変わってません。当時から変わったのは、梅を収穫するために、振動機を使うようになったぐらいですね。」 梅の木自体が病気や虫の発生が多いため、一般的に農薬なしでの栽培は極めて困難と言われている。そんな中、平島農園では農薬を通常の約5分の1に抑えながらも、安定した収穫が可能な栽培方法を確立している。 平島さん:「農薬は時期を見極めて、ピンポイントでまいています。あとは、殺菌効果のある竹酢を混ぜることで量を少なくしています。必要な時に必要な分だけまく。これも先祖から伝わる栽培方法です。良い土壌環境を維持するために、マメな草刈りも欠かせないです。除草剤は地下水にも流れてしまうので、機械で地道に草刈りしています。」 たった一晩で全滅することも。 丹精込めて育てた梅の実は、1年かけてじっくりと成長し、収穫を迎える。そんな梅の実の最後の天敵は、梅の開花期に降りる"霜"である。 平島さん:「毎日天気予報を見て、気温を確認しています。霜が降りそうな日は早朝に起きて、畑で梅の枝を燃やして暖かくしています。自動で扇風機を回しておくという手段もあるんですが、万が一、風が当たらないところがあると、その場所は霜が降りてしまうので心配なんですよね。たった一晩で全滅することもあるのでこの時期は本当に気が抜けません。」 収穫まであと一歩のところで霜が降りてしまうと梅の実が落下してしまい、平島さんの努力と苦労が一瞬で水の泡に。そんな繊細な梅の栽培は、とにかく収穫直前まで油断は許されない。 手"塩"にかけて。 約1ヶ月かけて梅の実を収穫すると、息つく間もなく梅干しづくりが始まる。平島農園の梅干しは全て無添加。その分、製造過程においても慎重さが欠かせない。 平島さん:「収穫の時期は、毎朝5時からしています。その日中に収穫したものを水洗いし、塩漬けまでしないと生の梅は傷むんです。スピードも大切ですが、雑菌が入らないように、手をよく洗い、梅を水洗いした後も傷が入っているものが無いかを、一個一個手作業でチェックしています。」 梅干しを漬ける「塩」にもこだわりがある。主役である梅にとって最適な引き立て役となるように数多ある中から厳選された塩を使用する。これも120年伝わる、平島家の伝統である。 平島さん:「使用する塩によってはイガイガする梅干しに仕上がってしまいます。うちでは海水を自然に蒸発させてつくった天日塩を使っていますが、ミネラルを多く含んでいるので、まろやかな味わいに仕上がります。」 お天道様のお陰様。 無添加の梅干しづくりでもう一つ重要な工程は「天日干し」である。雨や台風を避けながら行う必要があるため、計画通りに干せないこともしばしば。現代では機械による乾燥も可能な中、「天日干し」にこだわるのは何故か。 平島さん:「日光に当たると病原菌が死に、栄養分も増えるんですよ。我が家の梅は全て、天日干ししています。ほんと、お天道様ですね。雨が長く続いたら計画通りにいかず大変ですが、それでもやっぱり天日干しは必須です。」 実は、平島農園の正式名称は「太陽梅 平島農園」である。平島さんのお母様が太陽が好きなことからだそうだ。名実ともに、太陽との関係性は切っても切り離せない。 平島さん:「ニコニコよく笑う太陽のような母です。以前、生梅を出荷していた時代も、"太陽の梅干し"という名前をつけて出荷していました。」 継承と進化に挑む。 現在4代目となる平島さんは、もともとは八女を離れ、東京の飲料メーカーで働いていた。後を継ぐことを決めたのは、生梅の生産に加えて、それまでは注力していなかった梅干しの自社販売事業も本格的に始めることとなった、10年前。 平島さん:「私が手伝えることはないかということで戻ってきました。東京から八女に戻ってきた時は、本当にのどかで同じ21世紀かと疑うほどでした(笑)。別荘に年中住んでいる感じでしたね。そこが八女の好きなところでもあるんですが。」 代々受け継がれる栽培技術の習得に加え、自社販売を始めたことにより、先代までは行っていなかったスーパーや百貨店などへの営業にも挑戦する日々。その経験の中で、農家自身で値段をつけて販売していくことの大切さを学んだそうだ。 平島さん:「農家の中には、市場に卸ろして終わりで自分で値段もつけない方々もいます。なんか『もったいないなぁ』と思うんですよね。自分たちで一生懸命つくったものなので、自ら値段をつけることは勿論、お客様にどういう想いで、どのような過程を経てつくったものなのか、やっぱり知っていただきたいですよね。生産自体と同じぐらい大事なことだと思ってます。」 自然とともに生きる心地よさ。 お父様が園主をされていた幼少期に行った親戚総出での収穫作業は、「自然とともに生きる心地よさ」を肌で感じた思い出として、いまでも強く記憶に残っているそうだ。 平島さん:「弁当を持って、山でご飯を食べたのが懐かしいです。これがめっちゃ美味しいんですよ。力仕事をして、青空の下でご飯を食べる。肝心の農作業は覚えていないのですけど、『自然って本当いいなぁ』と思ったことを覚えています。」 幼少期に抱いた想いは、お父様の後を継いだいまも変わらない。日々の畑での小さな発見は、他の職業では味わえない農業ならではの楽しさ、素晴らしさであるという。 平島さん:「冬場に梅畑に出ると、当然、梅には葉っぱも生えていないんですけど、木に触れるとあったかいんですよ。梅の木は話さないけど、年に一度、同じ時期に実を成らせてくれる。こんなに寒い中でも『生きているんだなぁ』ってジーンとくるんですよね。『ありがとう』と、毎年思います。」 八女の美しい自然と伝統を守る。 平島農園の梅干しを食べたいと思うお客様の期待に応えていくことは勿論、八女の美しい自然環境を守っていくために、現在の栽培方法と製法を続けていきたいと、平島さんは話す。 平島さん:「人間も自然の一部なので、自然とともに生きていくためにやっていることは続けたいですね。現在の低農薬の栽培方法、人工添加物は使わない製法は守っていこうと思っています。人間技だけではうまくいかないこともありますが、そういう時は、人間悟りです(笑)。」 時には自然の影響で不作になったり、計画通りに作業が進まなかったりと、農業には想定外なことがつきものである。しかし、思うようにいかない時こそ、自然と寄り添うことを大切にしている平島さん。梅の木と太陽、そして周囲の自然の恩恵に感謝をしながら、"どこか懐かしい"昔ながらの梅干しを、これからも届け続ける。 文・写真:emma. Inc.

「人を幸せにする」米づくりで地域を豊かに。 名水の里で稲作をする意味。

とよくに農園

大分県・竹田

阿蘇の外輪山やくじゅう連山の雄大な自然に囲まれ、山々が磨いた水が流れる名水の里として知られる竹田市。とよくに農園は、祖母山の懐に抱かれるように水田が広がる大分県・倉木に位置する。農園の主である平山さんは、『農のくらし』に憧れるうち、さまざまな出逢いとご縁がこの地と結びつき、稲作を始めることになったという。古くから米どころとして知られる倉木で、平山さんがつくるお米は農薬や肥料に頼らない自然農法のもの。地の利を活かしてつくるお米の評価は高い。 無知な自分に愕然とした、世界一周の旅 農業に興味を持つ前は音楽に夢中で、大学を中退して音楽の専門学校に入ったという平山さん。農家になるまでにはいくつかのターニングポイントがあった。 平山さん:「専門学校に入って、本当に才能のある人達と自分の差を思い知らされました。限界を感じてとても落ち込んでいた時に、目に入ったのがピースボートでした。世界を自分の目で見たいと思い、思い切って専門学校の2年目の学費をピースボートにあて、海外に出ることにしました。」 初めての海外旅行となるピースボートに参加した当時、平山さんは25歳。ピースボートの「地球大学」に英語を学ぼうと参加すると、そこには多くのカルチャーショックが待っていた。パレスチナの難民キャンプや、中米最大のスラム街を目の当たりにし、価値観が変わったという。 平山さん:「貧しくて生きていくのが大変な場所なはずなのに、子どもたちの目が輝いていたのが印象に残りました。これはなんなんだろう、豊かさとはお金の豊かさではないのかと思いました。そしてアフリカでサファリツアーに参加したとき、『豊かだなぁ』と思わず言葉に出てハッとしたんです。こういう豊かさもあるんだと。」 世界一周の旅がもたらしたものは価値観の変化だけではなかった。海外のことを知らなかったというショックよりも、日本のことを知らず、日本のことを語れない自分に愕然とした。帰国後、日本の文化を勉強しようと、平山さんは地元静岡で和食の道へと進んだ。 料理を学ぶ中で芽生えた「農の暮らし」への憧れ 静岡の日本料理店や東京の老舗料理店で和食を学ぶうち、平山さんの興味は自然と食材に移っていったという。自分たちが使う食材がどのように作られているのか調べるようになり、食品添加物や野菜に使われる農薬について知るようになった。野菜には思ったよりも多くの農薬が使われていることも知った。 平山さん:「農業は英語でAgricultureといい、文化なのだと思うとともに、日本は農文化だと考えるようになりました。貧困や紛争で苦しむ世界を目の当たりにした上で、じゃあ自分には何が出来るんだろうと考えた時、何気ない日常で知らず知らずのうちに貧困や紛争に加担しているという世界の仕組みから離れることが一つの選択だと思うようになり、自然と自給自足的な農の暮らしへと向かっていきました。もっと根源的なものを求めていたんです。」 心機一転、九州で出会った運命の場所 平山さんは会社を辞め、静岡で小さな畑を持って野菜を友人の店に売るようになった。そのうち、環境破壊から身を引かねばという想いから、山小屋で火を起こし湧き水で暮らす、電気・ガス・水道のない生活をするようになった。 平山さん:「でも、正義という名の武器で周りを攻撃していることに気づいたんです。自分は世界の仕組みや環境破壊から離れたところにいるつもりでも、実際には自己満足でしかなく矛盾していた。半年ほどでそんな暮らしをやめて、一旦全てのこだわりを捨てて心機一転、九州に移住することにしました。両親が阿蘇に移住しているとはいえ、全く土地勘もなく、家もお金もない。そこで住み込みで働ける仕事を探していたら、たまたま旅館の仕事を見つけたんです。」 南小国町の旅館で働き出した平山さんは当時36歳。40歳までには自分が理想とする『農の暮らし』を始めたいという目標を持ち、接客業の仕事をしながら、住む家を探した。そして今まで苦手だと思っていた接客の仕事をすることで、誰かに喜んでもらうことが自分の心を満たすのだと気づいたという。そんな中、竹田市の「農村回帰宣言市」という標語が目にとまり、竹田市役所に相談に行った。初めての相談で偶然今の家を見つけたのだという。旅館で働いて3年半。考えていた条件をすべて満たす、まさに"運命の出会い"だった。 "日本人"としての深い部分で、稲とつながった 平山さんが見つけた家には田んぼが1反ついていた。ただ、平山さんは野菜を育てることに興味があり、もともと稲作を本格的に始めるつもりはなかったのだという。もともとは自分が経験してきた料理や接客業を活かし、農家民宿を始めたらいいのではと考えていた。しかし奇しくも世界はコロナ禍にあり、今はそのタイミングではないのかもしれないと考えるようになった。さらに同時期に結婚もし、家がある倉木が生活の場となっていったのだ。 平山さん:「倉木のお米は美味しいと言われ、地形的な条件も、水にも恵まれている土地です。最初は田んぼは自給用に1反で十分と考えていました。ですが、美味しいお米の産地であるこの地の水田が今後どんどん放棄されていくという現状と、移住者である自分をとても良くしてくれている地域の方々との関係性がそこにある。自分のこの地での在り方を俯瞰した時、ここで暮らしていくのならば、この地の水田を守り、食糧をつくるという大切な仕事をもっとしっかりやっていこうと考えるようになり、新規就農したんです。いざ稲作を始めてみたら、野菜をつくるのとは次元の違う喜びがあったんです。日本人としての深い部分で稲とのつながりを感じたのかもしれません。」 美味しいお米は、環境を整えれば自然がつくり出してくれる 平山さんの田んぼは、現在面積も広くなり1町4反。農薬や肥料に頼らない自然栽培でお米を育てている。今住んでいる家は元々自然農家から譲り受けた場所でもあったため、周りは慣行農家ばかりでも理解があり、お互いが困ったことはないという。風通しがよくなるように稲を少なく植え、しっかりと根を張るように工夫をした田んぼからとれるお米は非常に食味がよく、評判も高い。 平山さん:「元々稲作に向いた土地だということもありますが、1年目から美味しいお米がとれています。いろいろと工夫をしたり、作業は多いかもしれませんが、それを苦に感じたことはあまりありません。周りの山々で磨き抜かれた伏流水が、地下水として流れ込んでいることや、標高が350メートルと高いため、昼夜の寒暖差が大きく、お米に甘みを与えてくれます。稲にとって必要な養分は、環境を整えてあげれば微生物や自然がつくり出してくれると考えていて、それを邪魔しないのが大切だと考えています。」 人の暮らしを支える「稲作」の役割を果たす。 お米をつくる上で大切な水に恵まれた竹田市だが、それを保つ上でも田んぼは重要だと平山さんは言う。山に蓄えられたミネラルや養分を山に降りた雨が運び、急峻な土地に開かれた田んぼにとどまることでお米となり、人々のもとに返ってくる。そして田んぼがあることで地下水はその土地にとどまり、田畑を潤すのだ。 平山さん:「日本は稲作を選んだから豊かになったのだと心から思います。そうした自然の成り立ちや自然のリズムの中で、自分のリズムを呼応させながら暮らしつつ、しっかりお米を生産していきたいです。いずれはここで、自然農法で新規就農したい人や、農的な暮らしを始めたい人をサポートしていく仕組みづくりをしたいと思っています。」 倉木の地、そして農業の未来に想いを馳せながら、とよくに農園は人を幸せにする農園として、これからも歩み続ける。 文・写真:emma. Inc.

"金印"出ずる島から、海風に乗せて。 命と食への『当たり前の感覚』を伝えたい。

百姓園

福岡県・志賀島

玄界灘から吹き込む気持ちのいい海風を浴びながら、福岡市の中心部から車を40分ほど走らせた先、志賀島(しかのしま)。小学校の歴史の教科書などでも頻出のこの場所で発掘されたとされる、"金印"をモチーフにしたロゴ入りの作業着を身にまとうのは「百姓園」代表の北本さん。百姓園では、山海の豊かな自然の恵みを活かしながら、米・野菜・果樹などを多品目で栽培する。 「実家が傾いた。」 北本さんの走り出しは決して順風満帆ではなかった。農家をしていた父の家業を継ぐことを決めたのは、20年ほど前。福岡県西方沖地震のあった年だ。震源地に近かった志賀島も、被害は大きかった。 北本さん:「地震の揺れで、実家と当時父が経営していた海の家が傾きました。すぐに志賀島に戻って、一緒に避難所生活をしました。その後も含めて、とにかく一家が大変な状況で、途方に暮れる親の姿が今でも印象に残っています。」 当時、志賀島を離れ、金融の仕事をしていた北本さん。地震を機に会社を退職し、百姓園の看板を背負うことを決意。立て直しが始まった。 どれだけ"野菜の気持ち"になれるか。 就農当初、農業に関する書籍を読みながら、知識を深めていくことに一定のエネルギーを注いだが、何より畑での実践の積み重ねがいまに活きていると話す北本さん。誰かの知識やメソッドが、杓子定規にその土地、その野菜に、当てはまるはずがない。どれだけ、足元の土の声を聴けるか、どれだけ"野菜の気持ち"になれるかだという。 北本さん:「本に『30cm間隔を空けて育てること』と書かれていても、50cmにしたりしますもんね。人間でもぎゅうぎゅう詰めのマンションに住むより、戸建ての方が居心地いいですよね。目の前の野菜たちに対して、どういう風に可愛がってあげると、より多くの子孫を残そうとするのかなと考えたり、作物と対話しながら育ててます。」 そして、百姓園の野菜が美味しい理由は、シンプルながらも、やはり大きな違いが生まれるもの。"土・水・空気"である。 北本さん:「動物性堆肥と植物性堆肥を混ぜ合わせたオリジナルの堆肥でつくる"ふかふかな土"、志賀島の地下から汲み上げた"井戸水"、潮風にのって運ばれてくるミネラルたっぷりの"空気"。志賀島の自然の恵みの力を借りながら育てています。でも、野菜も子育てと一緒で、甘やかしすぎると貧弱野菜になってしまいます。なので、少し水を枯らして厳しめに育てたり、野菜の持っている力を引き出すことを意識しています。」 "大変"よりも"楽しい"が大きい。 1分1秒で刻々と状況が変わり、臨機応変な対応が求められる、金融関係の会社で働いていた北本さん。天候とうまく付き合いながら、計画的かつ柔軟に作業を進めていかなければならない農業の世界にも順応しやすかった。 現在、所有しているのは、田んぼ9ヶ所、畑5ヶ所、果樹園5ヶ所、計19ヶ所。これらの広大な農地を、なんとたった2人で切り盛りしているという。さらには、地域の子供たちのために、朝と夕方に幼稚園のバスの送迎もされているそうだ。そんな多忙を極める日々にもかかわらず、"大変"だと感じることはなく、志賀島の自然のリズムを感じながら、汗を流して働くことがむしろ"楽しい"と話す。 北本さん:「農業の面白さの一つなんですが、それぞれの作物の手のかかる時期がちょうど少しずつずれてるんですよ。3〜5月は野菜に専念しますが、6月になると田んぼが忙しくなります。田植えが終わったら7月からは野菜の収穫、それを片づけて10月には稲刈りです。その分年中忙しいですけどね(笑)日の出とともに作業を始め、日の入りとともに作業を終える。本当に太陽のリズムに沿って生活しているのを感じます。」 「志賀島を助けたい。」 百姓園では、近隣の飲食店や志賀島の住民の方への販売を優先している。そこには、高齢化により農家が減少し、地元の農作物の供給力が激減している志賀島を助けたいという想いがあった。 北本さん:「この辺りは志賀島の中でも農業が盛んな地域で、昔はどこの家庭でも果樹を栽培していました。ところが、車の運転が出来なくなって辞める方が増えてきています。うちも年間で大量購入のご要望などもあるのですが、地域のお客様を最優先したいので、志賀島を助けるためにも待っていただいたりしています。」 そんな百姓園で育った作物は、老若男女問わず大好評。野菜嫌いの子供が自ら欲して食べられるようになったこともあるそうだ。口コミでファンが続々と増えており、今年のお米もわずか数ヶ月で完売してしまったとのこと。 北本さん:「自分達にとっては身近で当たり前の味ですが、お客様から言われて初めて『あ、自分の野菜は美味しいんだ』と気づかされたりします(笑)うちは特に営業はしていないのですが、先日もロコミであるホテルのシェフに視察に来ていただきました。料理人の方からは『野菜の濃さが違う』といった感想をよくいただきますね。」 野菜ができるまでの"過程"を知ってもらいたい。 百姓園では、野菜ができるまでの"過程"を知ってもらいたいという想いから、体験農園も実施している。それも、当時は九州初の体験農園だったそう。 栽培にかける労力や大変さは勿論、当たり前にあるものが当たり前ではないということを知ったうえで食べる野菜の美味しさを味わっていただきたい、という想いで続けて今年で15年目。 北本さん:「体験農園では通常市場に出回らないものが食べられます。例えば、カブの『間引き菜』と言って、芽同士が競り合うのを防ぐために間引く部分は、一般的には捨てられますが、若葉で美味しいんですよね。春に咲く大根の黄色い花もそうですね。こういったものを食べられるのも農家の特権ですが、体験農園ではさらに各々の好きなタイミングで収穫した野菜を食べていただけます。」 「いただきます」「ごちそうさま」の意味 最近では、志賀島の幼稚園の園児に向けて、芋掘り体験や収穫体験など、自然と触れ合いながら、"食"という大きなテーマを親御さんと一緒に学ぶ機会を提供している。 北本さん:「アトピーやアレルギーになる子供が最近多いですが、その理由の一つとして言われているのがお腹にいる時のお母さんの食べものの影響です。世の中にも"食"を見直す時期が本格的にきているのかなと思っています。そんな時期にこういう仕事をさせてもらえることがありがたいですね。」 さらには、北本さん自身が幼少時代にやってきた経験を現代の子供たちにも体験してもらい、"命"の大切さを学んでほしいという想いも。 北本さん:「卵1個で鶏の命が1つなくなっているし、手羽先一本を食べるのに鶏が1匹死んでいるわけですからね。僕は幼少期に、鶏、マムシ、猪を捌いて食べた経験から、"命"について考え、学んできました。『いただきます』『ごちそうさま』と言うのは何故か。機械的に言うのではなくて、その意味を伝えていく農園であり続けたいと思っています。」 "当たり前の感覚"を後世に伝えていく。 あらゆる食材がスーパーで手に入り、"命"や"食"に対する意識が希薄になりつつある昨今。北本さんの幼少時代は対照的であった。「米粒1つには百の神様がいる。だから、残さず食べなさい。」と、それが"当たり前"と言われて育ってきたという。 北本さん:「地震での避難生活でも感じたのが、自分の身や自分の生活は自分で何とかする、何とかできるようになっておく必要がある、ということです。そして、それを伝えていくことが僕の使命かなと思っています。僕1人がしたところで日本が変わるわけではないですけど、そういう農園がいてもいいんじゃないでしょうか。」 百姓園はこの先も志賀島の地から、古くから紡がれてきた、この『当たり前の感覚』を後世へとつないでいく。 文・写真:emma. Inc.

80年の歴史とともに。農業で”地域の風景を守る”。

林農園

福岡県・朝倉

「日迎の里(ひむかえのさと)」。何百年と前からそう呼ばれてきた朝倉市枇木(はき)町は、筑紫平野の東端に位置し、南向きの斜面が多いことから、その名の通り太陽の恵みを最大限に享受できる場所にある。そうした枇木特有の地形や環境条件を最大限に活かしながら、「林農園」は、梨をはじめ果樹を中心に栽培する。先祖代々受け継がれてきた、微生物を活かした土づくり、そして減農薬・無化学肥料で真心こめて栽培する梨は、ぎゅっと実の詰まった食感とまろやかで上品な甘さが特徴だ。 10年の歳月を経て。 林農園で栽培する梨は6種類。中でも、地域の名が冠されたオリジナル品種「日迎(ひむかえ)」は、美味しさだけでなく、その誕生秘話もひっくるめて、長くファンから愛され続けている。 ストーリーの始まりは、2代目の林さんの父が梨の研究のために、全国の産地を回っていた頃。関東で「日の出」という品種の枝を譲り受け、朝倉に帰るやいなや、すぐに既存の梨の枝に接ぎ合わせた(接ぎ木と呼ばれる繁殖技術)。そこから実が成るまで待ち、その実の種を今度は土に植え替え、元気に、そして何より"美味しく"育つものを選別していく。このプロセスを何度も何度も繰り返し、10年の歳月をかけて誕生したそうだ。 林さん:「『日の出』の子供という意味合いと、この地が『日迎の里』と呼ばれていることから、地域に根差すようにという想いで『日迎』と名付けました。皮が厚いので、日持ちが良く、冷蔵貯蔵で熟成することで豊潤でフルーティーな香りが増すのが大きな特徴です。果肉がきめ細かくぎゅっと詰まっているので、食べ応えのある食感もお客様から好評です。」 『日迎』という名の縁起が良いこともあり、お正月やお歳暮の贈答品としても喜ばれる逸品だそうだ。 山間の荒地をゼロから開墾 林農園で梨栽培が始まったのは、なんと80年以上前。当時は別の作物の裏で栽培していたそう。その後、半世紀が経った頃である。高速道路の建設のため、やむなく農地を移さざるを得なくなった。ところが、新しい土地はなかなか見つからず、山間の空閑地をゼロから開墾することに。第二の船出は、家族総出での石拾いから始まったそうだ。 一方、寒暖差の激しい山中は、むしろ果樹栽培には好条件だと話す。 林さん:「中山間地帯の長野や山梨で果樹の生産が発達した理由と同じですよね。高低差によって梨の成長が段階的になり、収穫時期も微妙にずれてくれるので、自然と効率的な生産が可能になります。」 開墾を機に、梨の栽培をメインに切り替え30年、数々の試行錯誤の末、現在では梨の栽培では極めて難易度の高い減農薬・有機栽培が可能になった。 年に一度の一大行事。 春になると、梨の美しい白い花が山の斜面一面に咲き誇る。農地が広大なだけに、収穫作業はその分大がかり。毎年、およそ2ヶ月間にわたり、手首を腱鞘炎にしながら、手作業で収穫を続けるという。 林さん:「果樹は年に一回の収穫なので、"待ちに待った収穫"という意味で、やはり高揚感が大きいのですが、同時に大変さも集中します。また、収穫時期に台風がくると全てダメになるので、毎年祈りながら収穫していますね。去年の台風も直撃ではなく、かすめただけですが、1トン弱の梨が落ちました。」 「早く大きく」ではなく、「ゆっくり濃密に」。 さらに、低農薬の有機栽培となると、栽培過程においてもその手間は計り知れない。 林さん:「果樹は、雨や虫が原因で病気になりやすいので、毎日欠かさず状況を観察しています。病気の予防として、どうしても農薬が必要なタイミングにのみ、最小限で使用しています。農業の役割の一つは第一に食べものをつくること。そして、食べものは"人の源"なので、我々生産者がしっかりと本当にいいものをつくらないと、人が育っていかないですもんね。」 林農園では、剪定した枝をチップや炭の状態にして土に戻すなどにより、"微生物の住む環境を整える"土づくりを意識している。これにより、化学肥料を使用せずとも健康的な果樹が育つ、肥沃な土壌がつくられている。 林さん:「化学肥料を使うと確かに急激に育ちます。ただそうして、急激に大きくなった果樹とゆっくりと栄養を溜め込んで大きくなった果樹とでは、旨味や甘味の蓄積量が違うので、味も全く違います。手間がかかり、大変な作業を伴いますが、お客様の『美味しい』というお声が嬉しくて、続けられています。」 「この風景を"農業で"守りたい。」 林さん:「この近所は昔から梨の産地で、祖父の代で梨農家は40軒ほどいました。それも現在は我々を含め3軒のみと、担い手がいなくなり、かつてのような"産地"と呼べる状況ではなくなってしまいました。」 もともとは造園・設計の仕事をしていた林さん。いつかは家業を、そして父の「日迎」を継ぐことを念頭に、勤続して8年が経った頃であった。幼い頃から見てきた故郷の美しい風景がゆっくりと損なわれていきつつあるのを肌で感じていた。 林さん:「ある日、実家に帰ると耕作放棄地が増えていて、このままだと藪になっていくのが予想できました。自分が小学校低学年の年に、家族全員でゼロからつくった農場なので、想い出の詰まった場所ですし、そうした危機感から枇木に戻り、この風景を"農業で"守っていくんだと決心しました。」 「食、農、地域」をテーマに。 今後のテーマは「食、農、地域」と話す林さん。「食」に関しては、低農薬・無化学肥料での安心安全な栽培をより一層究めつつ、加工品を展開していくとのこと。 そして、「農」に関しては、農業人口を増やすこと。果樹は苗から植えて10年、20年という時間軸の世界だからこそ、今のうちから次世代の育成に取り組む必要があると話す。 林さん:「果樹の生産者が辞めると、果樹の木は切られ、ただの山になります。結局、先ほどの3つのテーマはどれも繋がっていて、農業の一部分である田舎の風景を守るためにも、農業人口を増やしていく必要があるということですよね。」 最後に、「地域」に関しては、就農時から変わらず。「農業で地域を支え風景を守っていくこと」に取り組んでいく。 林さん:「現在も、水路の維持が難しくなってきていることが地域の課題としてあります。これについては"地域を巻き込んで維持しましょう"という取り組みをしています。ただ、こういった問題は全国の中山間地で起きている問題だと思います。地域の問題は国全体の問題。世界的な食糧事情というマクロな問題も、枇木が抱えるミクロな問題も、深いところでは本質は同じなのかもしれません。」 最近では、保育所と連携した食育体験のイベントなども積極的に開催している。今後も、就農当初から変わらない「農業で地域の風景を守りたい」という想いのもと、地域を主導して、ふるさとの情景を未来へとつないでいく。 文・写真:emma. Inc.

香り高く、”生命力”溢れる生姜を。

高倉農園

福岡県・糸島

糸島市志摩松隈の山道を抜けた先。どーんと空が開け、心地よい風が吹き抜ける高倉農園の生姜畑には、就農のために関西から糸島へ移住してきた高倉さんご夫婦の賑やかな関西弁が飛び交う。「香り高く、生命力溢れる」と評判の一級品の生姜のほか、約70種の野菜を無農薬・無化学肥料で栽培する。 "田舎の暮らし"に見つけた世界観。 就農前は、映像関係の仕事をしていたという高倉さん。ある時、ドキュメンタリーアートの映像作品を撮るために、福岡県朝倉市にある枇木(はき)という地域で農業をしている親戚を訪ねた。住み込みで"田舎の暮らし"に密着したその2ヶ月間が、人生の転機となった。 雅昭さん:「枇木には古くから受け継がれているお祭りがいくつかあって、中でも『おしろい祭り』といって、粉にした新米を水で溶いて顔に塗り、今年の豊作に感謝しつつ、来年の五穀豊穣を祈願するようなお祭りがあります。"田舎の暮らし"には、そういった「非日常」が、「日常」の暮らしに入り混じっている、不思議な世界観があるんです。こういうマジックリアリズム(現実と非現実が入り混じる不思議な世界観)に魅せられ、『田舎で暮らしたい!』と思ったのがきっかけでした。そこから、歳をとっても続けられるし、ということで農業を始めるに至りました。」 夫婦ともに関西生まれ、関西育ちの高倉さん。就農の地に糸島を選んだ理由についても伺った。 雅昭さん:「親が朝倉(福岡県)出身なので、最初は朝倉で考えてたんですけど、親戚の家にたまたま遊びに来ていた方に糸島を勧められたのがきっかけでした。その時は糸島のことを全く知らなかったんですけどね。旅行で行ってみたら、自然が豊かで何より海が綺麗で、その旅行を機に決めました。」 由紀子さん:「実際に住んでみても、やっぱり海が近くて気持ちいいですね。」 慣れ親しんだ関西を離れ、糸島での就農を決めた高倉さん。さて、次なるミッションは「何をつくるか?」を決めること。そうした最中、知人の一言で、いまや高倉農園の代名詞でもある主力の作物が決まった。 雅昭さん:「京都に住んでいた頃によく通っていた森林食堂というカレー屋さんがあって、そこの店主に『生姜だったら、うちで買うよ』と言われて、じゃあ生姜を作ろう!と決めました。就農してからずっと、そのカレー屋さんはうちの生姜を使ってくれてます。ほんと頭が上がらないです。」 香り高く、"生命力"溢れる生姜。 高倉農園の生姜の最大の魅力は、生姜特有の爽やかな香りと瑞々しさ。その秘訣について伺った。 雅昭さん:「生姜の場合、使う肥料によって香りが全然違ってきます。毎年の土壌分析は欠かせませんし、分析結果をもとに肥料の種類や量を細かく調整しています。」 こうして丹精込めて土壌を整える結果、自然と生命力溢れる健康な生姜が育つ。お客様からも「他の生姜よりも日持ちがする」というお声が多いのもその証拠。「キッチンに置いていただけたのに新芽が出てきた」というお声もあるそう。 雅昭さん:「生姜は同じ畑で栽培すると病気のリスクが高くなってしまうので、毎年畑を入れ替えています。使用していない間は、緑肥(収穫した農作物そのものを肥料として土壌へ入れること)を入れたり、連作を避けることによって土壌に地力を取り戻し、作物が健康に育つようにしています。」 雨で9割ダメになった年も 2016年の就農後、今年で8年目。生半可な志では続けてこれなかっただろう。 由紀子さん:「実際に農業をやってみると、めちゃくちゃ大変。もちろん大変なことは分かっていたけど、思っていた何倍も何十倍も大変でした。」 一番の難敵はやはり"天候の読みづらさ"である。高倉農園も例外なく、自然との付き合い方に悩まされた。 雅昭さん:「生姜は特に水が重要なので、降水量によって生産量が左右されます。雨が降りすぎて、つくった生姜の9割がダメになった年もありました。いつも生姜を楽しみに買ってくださっていたお客様からいただいた『頑張って』という励ましの言葉が、その時はどんな言葉よりもありがたかったです。」 いまや毎年冬季に人気の「冬野菜のセット」は、実は9割が廃棄になった大変な年に、応援してくださった方々へ「ありがとう」の気持ちを伝えたいという想いで始まったセットだそう。 由紀子さん:「人がいくら工夫しても、うまくいかないことの方が多いのが農業だと思います。相手は自然だし、自分達が合わせていくしかないので、どんなに大変なことがあっても、しょうがないと思えますね。」 横のつながり、地域のつながり。 就農からいままで数々の苦難を乗り越えられたのは、普段から相談させていただける先輩農家や、糸島での研修先で出会った同業の仲間たちの存在だと、高倉さんは話す。 雅昭さん:「研修を通じて、技術や知識だけでなく、志を同じにする仲間ができたのが良かったですね。いまも土壌分析に使っている機械は、研修先で出会った農家さんから毎年借りてます。地域の方も親切で、いまの圃場も地主の方から『他の畑に注力するので』ということで良い土地を貸していただきました。農業を始めてからずっと、横のつながりや地域のつながりが本当に大事だな、と感じてます。」 お客様の「日常」の一部に。 失敗の度に一つ一つ課題を解決していき、年々収穫が安定するようになってきた、と話す高倉さん。最後に、今後の向かう先について伺った。 由紀子さん:「お客様が自分に合った野菜を選びやすくできれば良いなと思います。食卓をパッと華やかに彩る野菜、『おっ、なにこれ?』と思わせるような珍しい野菜など、個人個人に合う野菜を提供しつつ、お客様の日常の一部になっていき、いつの間にか『うちの野菜がないと寂しくなる』みたいに思っていただけるような農園を目指してます。そのためにも、いつも買っていただいているお客様をはじめ、いまよりもっと身近で気軽に買いやすくできると良いなと常々思ってるので、栽培方法の研究や品種選びなどトライアンドエラーを地道に続けていきたいです。」 さまざまな壁がありながらも、自分たちにできること、自分たちだからこそできることをしっかりと理解し、ただひたすらにそれを続け、歩んでいく。 文・写真:emma. Inc.

災害を乗り越えて。「山、海、人を守る」農業の大義を果たす。

さちまる農園

福岡県・朝倉

辺り一面にひろがる美しい田園風景に癒されていると、「さちまる農園」ご夫婦の農作業中の元気な声が聴こえてくる。にんじんやミニトマトを中心に、多品目の野菜を有機無農薬・無化学肥料で栽培する。中でも看板野菜のにんじんは、えぐみが少なく、ほんのり甘い。にんじん嫌いのお子様でもモリモリ食べられると、お子様思いのママたちも絶賛を博す。 出逢いは学び舎。 お二人の出逢いは、農業ビジネススクール。心ほころぶ、何とも素敵な出逢いである。 朋美さん(奥様):「もともと一次産業に興味があったのですが、母がそのスクールのスタッフだったこともあって、スクールのイベントにもよく顔を出してました。そこで旦那と出逢ったんです。」 早智さん(ご主人):「自分はもともとカメラマンをしていたのですが、大学の同期にそのスクールの1期生がいて、『面白い学校がある』と教えられたのがきっかけでしたが、もともと農業に興味があったので、入校しました。」 早智さんのスクール卒業後、地域の農園での研修を経て、2018年に結婚。さちまる農園が、夫婦円満で走り始めた。 「ファストフードも食べる」食生活から一転。 安心安全な野菜づくりに励むさちまる農園。就農以前は、"食"の安全に対する強い意識があったわけではなかったとのこと。 朋美さん:「昔はファストフードもよく食べてました。ところがある時、子どもがアトピーになり、食べものにもアレルギー数値が出てきて、そこからがらっと"食"を意識する生活に変わりました。ただ、本当に食の情報って様々で、何が正解なのかが分からないですよね。私もそこで悩んでいて、本当に色んなものを試しました。その後、最終的には『自分たちがいいと思うものを自分たちでつくるのがいいよね!』というところに落ち着いた結果、いまの形があるという感じです。」 早智さん:「自分はもともと食には本当に無頓着で、食べられれば何でもいいという感じでした(笑)無農薬という言葉すら知らなかったぐらいなので、健康志向が強い妻と"真逆から出逢った"感じです。ただ、初めて妻のごはんを食べたとき、本当に美味しくて驚いたことを覚えています。そして、食べものが変わると、身体も変わるし、味覚や嗅覚も人間が持つ本来の感覚に戻る感じがしたり、妻のおかげでそんなことが分かるようになりました。」 「山、海、人を守る」 そんなご夫婦が目指すのは、"大切な人に食べてもらいたい、安心安全で本当に美味しい野菜づくり"。スクールで培った知識と高い技術をもって、その理念を実現している。 早智さん:「スクールでは、BLOF理論という科学的根拠に基づいた農業技術に関する理論を学びました。その理論のもと、植物生理や土壌中にいる微生物について体系的に勉強したことが日々の仕事に活きてますね。失敗した時に、BLOF理論のおかげで失敗した理由が分かるし、一度理論に立ち返って考えられるのがとてもありがたいです。」 朋美さんも後にスクールに入学。「農地を広げずとも、作物の収量を上げられる」というBLOF理論の真髄に魅せられたと話す。山や川が綺麗になり、豊かな自然を維持することで、結果として、人の暮らしが守られている。「山、海、人を守る農業」という"大義"が自分たちにはあると。さらに、共通の理論と言語があることにより夫婦のコミュニケーションも円滑になったと話す。 「それでもまだまだ分からないことだらけ」というご夫婦は、就農して5年目となる現在も卒業生向けのゼミに通っており、さらなる技術向上に励んでいるという。 想うからこそ、衝突する。 さちまる農園としての共通の理念、そして、BLOF理論という共通の言語がありつつも、唯一、意見が衝突すること。自分たちの野菜にどんな価値を与えて販売するか。野菜の"売価"である。 朋美さん:「私自身、お客様に毎日躊躇なく購入できる手頃な価格で販売したい気持ちが特に強いんですよね。旦那さんの稼ぎで生計を立てている主婦の方で、買い物で揉めることなどよくあるのではないかと思います。お客さんの1人で『ナチュラルな食生活に興味があるけど、旦那さんの理解が得られなくて。』と涙を流されている方がいて、とても共感しました。お母さんが一番に想うのは、自分ではなく、やはり子供。その気持ちに応えたい想いがあります。」 一方で、そういった想いに寄り添いたい気持ちは勿論あるものの、さちまる農園の未来を想うからこそ、経営者として譲れないラインがどうしてもあると話すご主人。 早智さん:「勉強して無農薬でできるだけの技術を得た分、やはりその付加価値は低くはないと思っています。また、うちだけ安くしてしまうと、他の有機栽培で一所懸命されている方が困ってしまうといったこともあります。経営者としての視点、主婦の視点、他の有機農家の視点、これらの折り合いのつく最適なバランスを二人で模索し続けるしかないと思います。」 災害を乗り越えて。『ほしまる』からはじまる新たな挑戦。 今後は農業を基軸に、お互いのやりたいことを実現していきたいと語るご夫婦。現在計画しているのはカフェ兼店舗だ。 記憶にも新しい、大きな被害を生んだ2017年の九州北部豪雨。なんと新たな事業展開が始まる場所は、その豪雨による土砂流の中で周辺で唯一残った、一軒の古民家だそうだ。その"奇跡の家"の住所が「星丸777」であったことから、その場所を『ほしまる』と名付けた。 早智さん:「『ほしまる』のある地域は、豪雨の被害で現在は、豪雨の前の約半分の人口になっています。住まれていた方々も、なかなか戻ってくるきっかけがないらしいんですね。『ほしまる』の場を通じて、この地域にもう一度人を呼び戻すことができればと、市役所の方からも応援いただいています。そういった地域貢献としての役割も、結果的にではありますが、果たすことができるというのは、とてもありがたく、嬉しい話でした。」 『ほしまる』は、アーティストボックスとして場を提供することを構想中で、さらにイベントや農業体験もできる、"地域のコミュニティ基地"としての機能を持つ。 早智さん:「人が輝く姿を見るのが好きなんだと思います。やりたいことがあるけど、あと一歩勇気がでない、そういう人の背中をそっと押すような場所になれば嬉しいですね。自分達でさえ、やりたいことを仕事にできてるんだから、その気があればきっとできるはずです。」 お互いの意見に対して、「うん、うん。」と微笑みながら相槌を打つ、その表情が印象的なご夫婦。夢を追う人の背中を応援したい早智さんと、子供のことを一生懸命に考える親を応援したい朋美さん。さちまる農園はこれからも農業を中心に据えながらも、人の「大切にしたい気持ち」に寄り添い、応援し続ける。 文・写真:emma. Inc.

農業を本当の意味で”科学”する。 野菜も、働くスタッフも、「個性を惹き出したい」。

有機農園 松の実ファーム

福岡県・糸島

「松の実ファーム」は、福岡市西区や糸島市などで全10ヶ所の圃場を有する有機JAS認定農園。有機人参や有機ほうれん草など毎日の食卓を彩る定番野菜から、一般には中々出会えない西洋野菜や伝統野菜まで、年間50品目以上を四季折々に栽培する。 多品目栽培だからこそ、一つひとつの野菜の個性を理解する。 多品目栽培の農家さんの中でもさらに多品目で栽培している松の実ファーム。それぞれの野菜に最適な水・気温・肥料を調整し、手間隙かけて美味しさを引き出す。その並々ならぬ探究心と培われた経験値から、松尾さんのもとで学び、独立した新規就農者も多い。 松尾さん:「どんな野菜でも、野菜を作る基本的な方針は2種類あって、その作物が育つのに最適な条件(気温、水、肥料分など)で作る方法【Rest】、もう一つはあえて条件の一つを育ちにくい厳しい条件にして作物に負荷【Stress】をかける方法。この方法を使い分けることで、同じ野菜でも味や食味が全然違ってきます。お客様によっても感じ方が違うので、一概にどちらが良いというわけではないですが、試行錯誤しながら、お客様が食べて喜んでいただけるものを日々追求しています。」 農業を本当の意味で「科学」したい。 松の実ファームの土壌づくりは、穀物を発酵させてつくる"ぼかし肥料"を使用する。厳しい基準をクリアし、有機JAS認証を得ていながらも、有機JAS基準で使用が認められている農薬さえも使用していないそうだ。そこには、お客様の健康のためは勿論のこと、何万年も続いてきた自然界の"循環"を尊重し、その仕組みのなかで作物をつくっていきたいという想いがあった。 松尾さん:「自然科学というのは、自然現象をよく理解し、人間の生活が豊かになるように活用することを目的としていますが、農業(農学)もその自然科学の一分野です。例えば、人類のはじまりに立ち還ると、人は大昔に森の木を燃やすことによって暖をとれることを発見しました。その行為は、その時は"科学的"な行為であったと言えるかもしれません。ただある時から、多くの人がそれを真似し、森の木を切るスピードが、森が再生するスピードを超え始めた頃から、木を燃やして暖をとるという行為は、いつしか本当の意味での"科学"でなくなったということだと思うのです。そうなったいま、別の方法を考える必要がある訳で、私が進めている有機農業は、そういった本当の意味で"科学的"であり続けたいと常に思っています。」 個性を発揮しながら気持ちよく働く"村"づくり。 松の実ファームが目指すのは、働く側が気持ちよく農業に携わる場所でありつつ、お客様との交流拠点としての役割も果たす、"村"のような場所づくり。 松尾さん:「農業は、畑仕事だけでなく、袋詰めや販売など様々な工程があり、年齢や性別問わず、それぞれの個性や得意を活かして働くことができるのが魅力の一つですね。やりたいことは沢山ありますが、一人では出来ないので、各人がプロジェクトを持って、取り組む事によって、お互いに高め合えるファームを目指しています。」 農業を広く捉え、働く人びとの個性を惹き出し、成長を促す。そして、人びとが本当の意味で自然を活用し、循環していく社会のために、松尾さんの挑戦は続く。 文・写真:emma. Inc.

”人にも自然にもやさしい”農業と場づくりを。

わかまつ農園

福岡県・糸島

「自然と共存し、人と人が繋がる場所をつくる」という理念を掲げ、創業10年目を迎える「わかまつ農園」では、最も力を入れる甘夏みかんをはじめ、いちご、びわ、梅など果樹を中心に栽培する。少し小高い丘にある農地には、糸島の気持ちの良い海風が吹き込み、果樹たちにミネラルを届ける。農薬・化学肥料は一切使用しない農法により、お客様の安心安全は勿論、自らも心の底から"美味しい"と言える果物づくりを目指す。 とにかく自然のままに、成長を"見守る"こと。 わかまつ農園が栽培で大切にしていることは、手を加えることを最小限にし、とにかく自然のままに、成長を"見守る"こと。果物も野菜も、自然のままに育てれば強く育ち、人が手を加えずとも病気にならないようにできている、と話す若松さん。 若松さん:「例えば、うちで露地栽培しているいちごは、6月に収穫します。6月という時期は、もともといちごが自然と美味しく成る時期です。人間の都合で、長い期間流通を可能にしたり、本来と違う時期に収穫できるようにしたりしなければ、農薬や化学肥料なしでも美味しいいちごができます。」 形が綺麗でも味が画一的なものが手に入りやすい便利な昨今。自然の恵みのみで生み出された、その品種本来の美味しさを味わうことができること自体が極めて貴重な体験である。 若松さん:「"美味しさ"というのは、分解すると結局、甘味・酸味・苦味のバランスだと思うんです。どれか一つだけ際立っていても、味がぼやけてしまうので、全体がまとまるようにそれぞれの味を調和させる必要がある。僕たちがやっているのは、そのために必要な成分を、果樹や野菜が自然の恵みから上手く取り入れられるように、そっとサポートするということだけなんです。」 「概念が変わる」わかまつ農園の甘夏みかん。 甘夏みかんと聞くと、やや酸味の強い印象があるが、わかまつ農園の甘夏みかんは特有の酸味は保ちつつも、果汁たっぷりで甘さが際立つ。 その秘訣の一つは、まずは肥料。糸島を代表する水産物である牡蠣の殻を砕いた肥料は、ミネラルたっぷりで、甘夏の味に深みが出るという。 そして、もう一つは、収穫時期と時間帯。自然に美味しくなる時期があるというのは先述の通り。加えて、晴れた日でなければならないという天候条件がある。さらに、甘味をつくり出すブドウ糖が光合成により最高潮に凝縮されると言われる、1日の中での"ゴールデンタイム"があるそうで、この時間帯を狙って、一気に収穫を行うという。 若松さん:「お客様からは『甘夏の概念が変わりました』といったお声をいただいたりします。もっともっと多くのお客様に喜んでいただけるように味を進化させていきたいです。」 袖振り合うも他生の縁。 もともと飛行機の整備士をされていた若松さん。お客様の安全と喜びのため、決められたスケジュールに則り計画的に作業を進め、自らの責任を全うするという部分は、いまの仕事においても変わらない。 国内では大災害、海外ではテロがあり、世の中が混沌としていた時期、若松さん自身の病気も重なり、「もっと人や社会の役に立ちたい」と、今後の人生のフライトプランを再考するきっかけになったそう。 若松さん:「もともと自然が好きで癒される感覚があり、自然と触れ合えるカフェを始めたいと思ってたんです。ところが、いっそのこと、カフェで提供する食事の食材から自分でつくってしまえばいいじゃないかと思うようになり、農業を始めることを決意しました。」 就農にあたって、東京から糸島へ移住してきたものの、当初は知り合いもおらず、農地を見つけるのには「本当に苦労しました」と話す。とにかく忍耐強く、道をすれ違う人へも声を掛けるほどであったと当時を振り返る。 若松さん:「果樹がしたかったのですが、果樹ができる土地がなかなか見つからず苦労しました。そんな中、犬を散歩している人に話しかけたら、たまたま土地を持っていらっしゃって、5年ほど貸していただけることになりました。その後、その土地を一所懸命耕してやっていたら、『あの人は本気だな』と思われたのか、他の方からも農地も貸していただけるようになりました。」 "人にも自然にもやさしい"場所 当初の目標であったカフェ「お菓子と暮らしの物 りた」は、2021年夏にオープン。倉庫を改装したおしゃれな空間は、若松さんが自前で設計・施工をしたという。カフェでは、わかまつ農園自慢の果樹や野菜を使用したメニューを提供し、併設された直売所では、収穫した作物は勿論、果樹の蒸留エキスを用いたアロマオイルや洗剤といった、自社オリジナルの加工商品など、"人にも自然にもやさしい"アイテムが豊富に並ぶ。 若松さん:「食べ物や暮らしのものを通して、社会の役に立ちたいという私の想いをお客様にもお伝えしたく、カフェをつくりました。農園で生まれた果樹、野菜、加工品が、皆さまの日常に寄り添えると幸いです。」 「利他」から始まる自給自足のまちづくり 若松さんのゴールは、自給自足のまちをつくること。カフェを拠点に料理教室やセミナーなど、様々なイベントを開催する。最近では、ピザの原料収穫から調理、食べるまでの一連の流れを体験できるイベントを開催するなど、地域の人々が"農業"や"食"について考えるきっかけづくりにも力を注ぐ。 農業だけでなく、カフェやイベントなどを通じて「多くの人が喜ぶ場をつくりたい」と、まさにカフェの店名の由来でもある"利他"を体現する若松夫婦。今後も自然との調和をはかりながら、無理なく、人が喜ぶモノと場所を提供し続ける。 文・写真:emma. Inc.

「我が子に食べさせたい」栽培期間中農薬不使用の米。地域で協力し合うサイクルをもっと。

百笑屋

福岡県・糸島

糸島市二丈の先祖代々受け継がれた地で、『我が子に食べさせたいモノをお客様に』をコンセプトに、米・麦・大豆を生産する「百笑屋」。特に、化学肥料や農薬を使用しない「ミルキークイーン」は、別名『お子様専用米』と称するように安心安全、唯一無二の味。粘りが強く、噛めば噛むほどモチモチとした食感で美味しいと熱狂的なファンが多い。 一度味わうともう戻れない。 百笑屋のお客様は、長期にわたって買っていただける方が多いそう。「死ぬまで買う」と毎年その年1年分をまとめて購入するお客様もいるほど。また、業界からの評価も高く、群雄割拠の糸島「米づくり品評会」では、食味部門で最優秀賞受賞のお墨付きである。 無農薬米を"当たり前に"実現するために。 まずは栽培中の難しさ。稲の状態をいかに的確に察知できるかが肝となるが、株の拡がり方や葉の向きなどの「細かい表情」があり、この表情を見極める感覚を身につけるのに10年はかかると松崎さんは話す。 そして、収穫後の難しさがある。農薬の有無に関わらず、米は非常に繊細で、何もしないと保管時にカビが生えやすく、小さな虫が混入してしまうリスクもある。そのため、通常は燻蒸処理を行うことにより対策をしているところが多い。一方で、百笑屋ではこの燻蒸処理をすることなく、収穫後すぐに冷蔵庫で保管することにより、安心安全なお米の提供を実現している。保管した後は、それで終わりではなく、その後も赤子を見守るようなきめ細やかなケアが欠かせないという。 ※燻蒸処理:虫の駆除のための薬剤散布 「地域で協力し合うサイクルをもっと」 百笑屋のお米の美味しさの秘密を伺った。一つ目は、化学肥料を使わないこと。もう一つは、堆肥に「菌を吹かせる」ための厳正な温度管理。特に一つ目については、畜産業者と提携し、堆肥をいただく代わりに、牛が寝たり座ったりするための敷き材として使うもみがらを提供しているそう。 松崎さん:「今後もこれだけではなく、地域で協力し合うサイクルをもっともっと回していきたいと思っています。」 近隣の農家さんが困っていたら、重機を貸し出したり、排水設備を整備したりと、率先して手伝っているとのこと。お互い向上してより良くという、まさに地域の農家の"鑑"となる姿がそこにあった。 初めて現場を任された、小学5年生の夏。 農家の家庭に生まれ育った松崎さん。百笑屋の社長であると同時に親になったいま、「気がつけば農業への情熱が芽生えていた」と、幼少期を振り返る。 松崎さん:「小学5年生の時、父親が『ここの仕事を任せる』と言い残し、出かけていったことがありました。トラクターに初めて乗り、"エンジンのついた乗り物"というだけでとてもわくわくした記憶があります。父に『おらん間にようやったな』と言わせたい!と思い、農作業を頑張ったことがとてもいい経験になり、今振り返るとこの時が『農業を一生の仕事にしたい』と決心したタイミングだったと思います。」 そして同時に、「両親が子供の健康を第一に願って、日々働いていたのをいまになって実感します」とも話す。家族やお客様の健康を気遣う"百笑屋のDNA"を脈々と受け継いでいるのが、百笑屋の現代表である。 目指すのは、「地域相互扶助の農業」の確立 百笑屋の今後の目標は、「お互い向上してより良くという"地域相互扶助の農業"を伝え、ひろげていくこと」。いま耕している農地も、「すべて恩送りで回ってきていて、たまたま自分たちが管理させていただいているだけ。次世代に良い状態でバトンパスするのが当たり前。」と松崎さんは語る。 松崎さん:「うちは『遠くの親戚より、近くの他人』という考え方を持っていますが、多くの農家でこのような考え方を持つようになると、農業も業界として変わってくるんじゃないかと。そこに百笑屋があってよかったね、と地域の方々に言っていただけるような農園でありたいですね。」 伝統と最新技術の融合。「100%の状態で後世につなぐ」 松崎さん:「うちの米の作り方を他の農家さんにのれん分けしたら、どの農家さんも米がつくれて売れるようになるぐらいまでに到達したいです。そこまで至るには、まだまだ技術を高める必要があります。」 代々受け継がれてきた土地と農法を継承しながらも、現代の最先端技術の流れも汲み入れていく意向の松崎さん。現在、IoTを活用した農地・農機具の管理や、耕作放棄地の課題の解決も計画中とのこと。 今後の農業の在り方を模索し、挑戦を続ける松崎さん。農業のいかなる課題も、"地域一体となって"、みんなで乗り越えていく。 文・写真:emma. Inc.

”いいもの”を”いい価格”で。次世代に渡したい、循環する農業のバトン。

OKAFARM

福岡県・糸島

糸島・志摩桜井の山間に農園を構える「OKAFARM」。春にはニンニク・ヨモギ、夏にはオクラ、冬はウコン・ビーツ・ヤーコンと、定番から変わり種まで季節に合わせて旬の野菜を栽培している。無農薬・有機栽培ということだけでなく、「とにかく美味しい。岡さんのつくる"土壌"でしか出せない味。」と根強いファンもいるほど。 その場で食べられることを大事に。野菜も人も生き生きと。 OKAFARMでは、栽培中、農薬や化学肥料を一切使用しておらず、「収穫したその場で生で食べられる」、ということを大事にしている。中でも力を入れているのはウコン。 岡さん:「ウコンは、お花も本当に可愛いんですよ。葉も花も余すことなく活用したいので、綺麗な花を見た僕たち農家も、"いのち"に感謝して、元気に生き生きとしていたいですよね。」 ウコンは、世界で最も研究論文が多く、効能についても盛んに研究されている作物。岡さんも、現代人に必要な栄養素が沢山あるゆえ、「知られていない効能を含めて、もっともっと広く伝えていきたい」と話す。 岡さんが力を入れているもう一つの作物は、「スターオブデイビッド」というイスラエル伝統品種のオクラだ。断面が綺麗な星形になっており、一般的なオクラと比べて肉厚だが柔らかく、香りも良い。岡さんのオクラは、さらに滋味・旨味がぎゅっと詰まって深みがある。 農業は、人が生きていくための地球との関わり方を決めるもの OKAFARMでは、BLOF理論に基づいた栽培を行っている。その背景には、「農業は単純に野菜を作ることだけにあらず、人が生きていくための地球との関わり方を決めるもの」という考え方がある。 ※BLOF理論:科学的に土壌分析と施肥設計を行うことで、「高品質・高栄養・多収穫」を可能にする栽培理論 いま、自分達が生きるためにする小さな行動が、"農法"という一つのルールにより制限されることによって、何十年・何百年後の未来で地球規模の影響を生むことになる。 岡さん:「大事なのは方法ではなく、野菜や自然に対する深い理解だと思います。その理解から生まれる個性こそが、現代で必要とされる完成された農業なのではないでしょうか。」 OKAFARMではこのBLOF理論を取り入れ、ここ2〜3年の収穫量は右肩上がり。有機栽培では、慣行栽培と比較して収穫量が減ってしまうのが「業界の"当たり前"」。一方、岡さんの手にかかれば、砂地からでも、一般的な有機栽培の平均収量の1.5倍以上の収量を実現できるとのこと。 全国各地で泊まり込みで農業を学んだ日々。 岡さんは、北海道から糸島に移住してきた。幼い頃から冷凍食品中心の食事で、身体を壊しがちだったそうだ。高校卒業後、地元北海道のもやし工場に就職。生産・管理・流通までの流れを8年間学んだ後、「安心安全な食の大事さ」を身をもって学んだ幼少期の体験から、有機農家の道を志した。単身で日本各地の農家を回り、泊まり込みで有機農法やBLOF理論を学んだそうだ。 岡さん:「一日中害虫の処理をするだけの作業をして、夜中うなされる日々もありました(笑)普通なら嫌になって辞めると思いますが、これだけ色んな経験をして、技術も知ってる自分がやらないと誰がやるんだ、と逆に奮い立ちました。」 「農業を助けたい」という一心で。 岡さんは、将来的には就農を目指す人に技術や知識を伝えていく指導者になりたいと話す。一般的には、有機野菜は収量が少なくなるため、需要と供給の関係で価格が高まりやすい。一方で岡さんは収量を高く維持できるため、"いい価格"で"いいもの"をお客様に提供ができる。 岡さん:「お客さんも"いい価格"でないと関係性が続かないと思うんです。お客さんも、自然も、農家も"心地よく続く"関係性が理想です。」 無理な生産、無理な販売をしない。自然と人が循環する農業を目指す、岡さんの挑戦は続く。 文・写真:emma. Inc.

自然の中に溶け込みながら。山と農園を引き継いでいくために。

ヒマワリファーム

福岡県・糸島

そこは耳を澄ませば清流の心地よい音が聞こえてくる、静かな雷山の山麓。この自然・エネルギー豊かな場所で農園を構える「ヒマワリファーム」。我が子はもちろん、多くの子供たちに食べてもらいたいという想いで、極力農薬不使用、露地栽培のみで、季節に合わせた野菜を育てる。 子供がそのまま生で"喜んで"食べられる。 ヒマワリファームが最も力を入れているのは菜の花。旨味を凝縮させながらも、苦味が極めて少ないのが特徴である。「肥料そのものの工夫に加え、肥料の加減やタイミングが大事」と話す代表の荻原さん。菜の花本来の味がゆっくりゆっくりと滲み入るようにと、自然のリズムを肌で感じながら、菜の花の状態を観察し、適時・適量を見極めるという。 荻原さん:「菜の花の苦味が苦手で食べられないお子さんが、うちの菜の花だと苦味が少なく、喜んで食べるというお客様の声をいただいたことがあります。農業をやっていて、嬉しいことの一つですね。」 菜の花以外にも、玉ねぎ、茄子、ピーマンといった定番野菜から、御節用の赤大根や赤にんじんといった変わり種まで、多品目の少量栽培を行う。 荻原さん:「カラフルな野菜が多いのも特徴の一つで、食卓を華やかに彩れば、食卓を囲む人の気持ちもパッと明るくなる気がします。そんな時間をうちの野菜で演出できたらと思っています。」 また、「子供がそのまま生で食べられることを特に意識している」と話す荻原さん。ヒマワリファームでは、極力無農薬で、品目によっては、仕方なく減農薬による栽培を行う。無農薬栽培は作業が増える一方、収穫量は減るものの、たい肥や有機肥料、ぼかし肥等の活用により、日々改善に取り組む。 自然と共存する農園へ。 山間部での農業は、イノシシ、タヌキ、アナグマ、キツネなど野生の鳥獣による被害がつきもの。畑を電気線で囲んだり、茂みの好きな獣が寄り付かないように小まめに草刈りをしたりと、平地以上にきめ細やかな対策が求められる。 荻原さん:「山でする農業は本当に大変なことが多いですが、それでも草木の色の移り変わりをより感じられたり、農作業中に聞こえてくる鳥や虫の声のお陰で心が安らいだりと、自然を全身で感じながら仕事ができる。こんな贅沢はないと思います。」 荻原さんは、元々東京でIT企業に勤めていたが、娘さんが生まれたのをきっかけに、「安心安全で美味しい野菜を我が子に食べさせたい」との想いで、仕事の傍ら家業であった農業を手伝い始めた。 荻原さん:「先祖代々お米や野菜をつくっていたので、幼少期から農業は身近にありましたが、あまり興味を持てずにいました。ところが、当時後継ぎは自分以外にいなかったので、『もし自分が継がなければ、この地はどうなっていくのだろう』という、山が荒廃していくことに対する危機感も強かったんだと思います。」 その後、独学で本格的に農業を始めてみたものの、植えた種の芽が全く出てこなかったりと、失敗の連続だったそう。 荻原さん:「初めて栽培した枝豆は全部猿に持ってかれましたね(笑)」 農業の難しさを身をもって学び、心が折れそうになったこともしばしば。そんな時に助けてくれたのは周囲の農家の方々だったそう。 荻原さん:「自然は自由奔放なので、本やネットで勉強して得た知識はそのまま使えません。糸島は周辺の農家さんとの繋がりが強く、先輩たちに、感覚や経験を直々に教えてもらえる環境があることがとてもありがたいです。」 山の自然と農園を守り、後世へと引き継ぐために。 ヒマワリファームの目標は、雷山の自然と農園を守り、後世へと引き継ぐこと。特に獣による被害は、作物だけではなく、山の水源にも影響をもたらす。荻原さんの農園のある山には、ため池が3か所あり、放っておくとイノシシが崩してしまい、ため池が崩壊するリスクがある。 荻原さん:「ある程度でいいので、山の中で棲み分けられればと思っています。それでもそう簡単にはいかないので、山中で農業をする我々にとって永遠の課題だと思います。」 自然との共生がうまくいき始めた暁には、「畑からの見晴らしが良い」という場所にカフェをつくり、ヒマワリファームの作物を用いた食事の提供をしていきたいと語る。 自然の中に溶け込みながら、そこで採れた野菜をその場で提供する。その理想の姿を目指して、荻原さんの挑戦は続く。 文・写真:emma. Inc.

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    青果は、自然栽培を中心に、有機無農薬など、自然循環を大切に育てられた旬の食材を取り揃えています。

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